パンクバンドとしてCDを出すには、どうすればいいのでしょうか?
今回、Web制作会社を起業した山賀宏明氏に「組んで半年でCDを発売したパンクバンドのボーカル時代」というテーマでインタビューを行いました。
山賀宏明氏は高校を卒業後、パンクバンドを組み、CDを発売した経歴があります。
今回、どういう経緯でパンクバンドを組み、CDを出すことになったのか伺っています。
パンクバンドを組んでいる方や、パンクバンドでCDを発売したいと考えている方の参考になれば嬉しいです。
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目次
高校を卒業後、京都に行った理由
高校卒業と共に東京に出てきたんですか?
俺変わってて、一応「浪人」っていう体で、一年間京都にいたんですよ。
一応浪人なんですけど、お寺とか神社が大好きで、毎日お寺を見に行ったりとかしてました。
一人暮らししていたので、パチンコ屋で働いてましたね、京都の。
京都のパチンコ屋が、またガラが悪くて。(笑)
面白かったですけど、ガラが悪いんですよ、本当に。
新潟のド田舎から都会に出てきたからかもしれないですけど、京都はやっぱり人も多いし、その時は怖かったんですよね。
なんで京都に行こうと思ったんですか?
その時、ジャズとかブルースが好きで、もともとパンクバンドをやってたんですけど、高校の時は。
でも、その時「パンクはちょっと違うな。」と思って、今よりも渋い音楽を聴いてましたね。
今はあまり聞かないですけどね。(笑)
ジャズとかブルースって、京都がけっこう盛んだったんですよ。
だから、「ちょっと京都に行ってみよう。」と思って。
それで京都に行ったはいいんですけど、新潟から関西に行く人って、ほとんどいないんですよね。
みんなやっぱり東京に来ていて、東京に来た友達が、それこそ固定電話で電話してきて、「東京は音楽も盛んだし、いいぞ。楽しいぞ。」と。
「そっかぁ。」って言って、次の年に東京に来て。
それで、東京に来て、またパンクバンドやって、さっき言ってた病院のSEの話になるっていう感じですかね。
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フランスでの生活
海外はどういうところに行ったんですか?
ヨーロッパは結構行きましたね。
病院の前にバイトをしていた時に。
俺、フランスに住んでたんですよ。
え?どれぐらいですか?
述べ2年くらいですかね。
ずっとじゃないですけど。
半年でビザが切れちゃうんで、行ったり来たりしていました。
京都からこっちに来て、すぐぐらいに行ったんですよね。
19歳くらいかな。
ちょうどその時お付き合いしている人がいて、モード学園のパリ校に行っていて。
それに一緒について行って、転がり込んでたみたいな感じです。
やることないから、フラフラその辺を回ってたみたいな。
でも、まだユーロじゃなくて、フランの時ですよ。
それこそ20年前とか。
それで、半年のビザが切れそうになると帰ってくるみたいな感じでした。
戻ってきて、ちょっとしたらまた行くっていう。
でも、今考えるとすごいアクティブでしたね、俺。
それで、ギターも持って行って、向こうで曲とか作って。
時間があったので。
彼女も学校があるんで、その間フラフラ遊んで、こっち帰ってきてバンドやるみたいな。
すごいかっこいいですね!
それだけ聞くとかっこいいかもしれないですけど、泥臭いもんですよ。
やっぱりお金もないんで、すごい安い飛行機を5万円くらいで取って、行ってましたね。
フランスまで、しかも往復。
5月とか10月の安い時期を狙って。
でも、面白かったですけどね、本当に貧乏旅行というか。
向こうに行っても生活ができないので、向こうの下流層の生活をしてましたね。
彼女の家はお金持ちだったんで、いろいろ仕送りはしてもらってたんですけど、そうは言ってもお金はないんで。
安いレストラン行ったりとか、スーパー行ったりとか、楽しかったですね、その時は。
その時は怖いものなしというか、勇気がありましたよね。
今考えると、よくそんなことしたなと思いますね。
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高校の友達と組んだパンクバンド
高校の時の友達とパンクバンドを組んだんですか?
何個かバンドをやってたんですけど、最終的には高校の同級生とパンクバンドを組みましたね。
3人のパンクバンドだったんですけど、同級生はベースで、もう1人は4つぐらい年下の大学生でしたね、パンクバンドを組んだ時は。
東京農大の大学生で、ドラムをやってました。
ある共通の友達から紹介されて、一緒にパンクバンドを組んでたんですよね。
一応、俺はボーカルをやっていました。
でも、それも本当運が良くて、ちょうど流行ってた音楽だったんですよ。
3人でパンクバンドをやり始めるんですけど、その頃パンクが流行っていて。
それって何年くらいですか?
1998年。
そのパンクバンドを1998年から10年間ぐらいやってましたね。
パンクバンドを組んで3ヶ月間練習して、半年後にはCD出してたんですよ、俺。
ちょうど流行りの音楽だったので、事務所もパパッと決まっちゃって。
パンクバンドを組んで3回目ぐらいのライブに、その事務所の人がちょうど見に来てたんですよね。
それで、「事務所に入ってくれ。」って言われて、その事務所に入って、すぐ「CD出す」って話になって。
最初は「オムニバス」って言って、いろんなバンドが集まって1枚のCDを出すっていうやつだったんですけど、それがパンクバンドを組んで半年後には決まってましたね。
まぁ、その時は2曲なんですけどね。
そのあと、3ヶ月後くらいにフルアルバムを出しました。
はぁー!それはアーティストとして順調な道を進んでますね。
そうなんですよ。
スタートダッシュは良かったんですけど、そのあとはちょっと伸びなかったんですよね。
パンクバンドとしてしっかり活動してたのは最初の5年間ぐらいだけで、途中から病院とかパソコンの方に、俺がハマっちゃったんです。
その頃25歳ぐらいになっているので、いろいろ考えるじゃないですか、将来のことも。
「このままパンクバンドをやっていていいのかな?」とか思って。
それで「ちゃんとしなきゃ。」と思って、「パンクバンドにハマってる場合じゃねぇな。」と。
それで、ちゃんと就職を考え始めました。
パンクバンドの解散
パンクバンドを辞める時って、いろいろあったんじゃないですか?
でも、一人は俺と同級生だったので、不思議とその時考えている事が似てたんですよね。
まだそいつともつながりがあって、今まさに一緒に仕事していたりするんですよ。
彼はフットサル場の仕事をしていて。
だから、彼は分かってたんですよね。
年齢的に「このままじゃいけねぇ。」とお互いに思っていて。
でも、まだ25歳ですよね?
はい。でも、それぐらいの年齢で考えないですか?
27歳ぐらいだったかな?
それで、「ちょっと考えないといけないな。」ってなって。
俺、実はその時結婚もしていて。
26歳で結婚したんですよね。
それで結婚もしているし、嫁さんからも「パンクバンドは辞めて、もうちゃんとしろ。」と。
でも結局「パンクバンドは辞める。」って言って解散ライブをやったんですけど、そのあともちょこちょこやってましたけどね、実は。
それで、何回か怒られました。
ばれて、「何やってんの?パンクバンドは辞めるって言ったじゃないの。」っていう話に。
まぁ、結局ダメになっちゃったんですけどね。
だからダメになっちゃったんですよね。(笑)
身内が一番厳しいですね。
もう一人のドラムの子は若かったんで、もう今は30代ですけど、農大生の子は。
そこからは違うバンドやったりしてましたね。
何回かその子のライブを見に行ったりしました。
今は劇団の音響にハマってるみたいですよ。
俺も今、そっちとは連絡取ってないんですよね。
仲悪くなって別れたわけじゃないですけど。
でも、なかなか自分の話をすることってないですよね。
意外に嫌いじゃないですね。
なんかいろいろ感慨深いですもん、自分でしゃべりながら。
ぶっちゃけパンクバンドやってたことも、俺の中でなかったことになってますからね。(笑)
だから、しゃべってて「そういえばやってたなぁ。」って。
あんまり言わないですしね、自分からは。
歳取ってますもん、やっぱり。
それにしても、わりかしやってたほうだと思いますけどね、いろいろな事を。
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