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機織りに興味を持って進学した都立工芸高校

機織りに興味を持って進学した都立工芸高校

都立工芸高校とは、どんな学校なのでしょうか?

今回、花屋として独立した大竹ミキ氏に「織り物に興味を持って進学した都立工芸高校」というテーマでインタビューを行いました。

「行きたい高校以外は、行かなくていい。」という考えだった高校受験、伝統工芸や職人に憧れて入った都立工芸高校、自由な校風でみんなが平等だった高校時代の事などを伺っています。

ものづくりに興味がある方や、これから都立工芸高校を目指している方などの参考になれば嬉しいです。




都立工芸高校への進学

都立工芸高校を選んだ理由とは

なぜ都立工芸高校に進学したんですか?

高校に進学する頃から、ちょっと普通の人とは何か違ってたのかもしれない。

みんな「高校に進学」って言ったら、「自分の行きたい学校に行く」とか、私の時代だから「制服がかわいい」っていうことはなかったんだけれども、「自分の学力に見合ったところに行く」とかでしょ?

行きたい高校を受けて、受からなかったら大変だから、「滑り止めを受ける」っていうのは一般的だったと思うんだけど、私は「行きたい高校以外は、行かなくていい。」と思っていたの。

それで、その時は「都立工芸高校」っていう高校に、すごい魅力を感じたんです。

「工芸」っていう字が、自分の中に響いたんだと思います。職人の端くれみたいな、そんな勉強ができるのかなと思って。

それに、三越とかデパートでやっている「日本伝統工芸展」とか、ああいう工芸展を見るのも好きだったな。タイミングが合えば、そういう工芸展に行ったりしてましたね。

なんか伝統工芸とか、そういう「職人になる」っていうのが、漠然と「いいなぁ。」みたいに感じてました。

まだ中学生なんですよね?

まだ、中学生です。それで、都立工芸高校に見学に行ったんですね。

中学3年生になって、ちょうどみんなが行く頃に、学校見学に行ったんだと思います。

今は「親と一緒に行く」っていうのが当たり前だけど、あの頃は本当に子供だけで行って、先生の話を聞いて、学校の中を見せてもらっていたんです。

そうすると、学校に機織りの機械があったんです。それを見て、なんか機織りにすごく惹かれて。

工芸高校に入って、自分でデザインができるとは思ってなかったし、絵を描くのも得意じゃなかった。

でも、「自分で物を作ったりできる」っていうのが響いたのかな。

その時は高校に入って「機織りができるといいな。」って思って、都立工芸高校を受ける事にしたんです。

高校っていうのは、「自分がこれから大人になって、仕事に就く。その仕事に身近なところを選べるといいなぁ。」って、中学生ながらでも思ってたと思います。

それで、「普通科行っても意味がない。」と思って、都立工芸高校のデザイン科に行きました。

都立工芸高校以外は受けなかったんですか?

「都立工芸高校が落ちたらどうするんだ?」って学校の先生にすごい言われたんですけど、他の学校には行きたくないわけだから「都立工芸高校が落ちたら働きます。」って。

私は「保母さんとか看護婦さんになるのもいいかな。」って思っていたので、高校に行けなかったら、昼間はどこかの病院で働いて、夜間の学校に行こうかなって思ってました。

だから、「もし都立工芸高校に落ちたら、看護婦さんになります!」って言って、「それでいいの、ブーちゃん?」って言われてましたね。

その頃、私「ブーちゃん」っていうニックネームだったんです。

私は普通ぐらいの成績だったので、そういう選択をするのは、きっと先生も面白かったと思う。「珍しいねぇ、ブーちゃん。」って言われたの。

私の後ろの席が、本当にすごい不良の男の子だったんです。だから、その子も高校を1個しか受けない。

さすがに試験の日が近づいてくると心配みたいで、「ブーちゃん、ブーちゃん。ブーちゃんも、高校1個しか受けないんだよな?」って。こんなリーゼントですよ、リーゼント。(笑)

「試験、落ちたらどうするんだ?」って言うから、「働くよ。」って。

そうしたら、「そうだよな、働けばいいんだよな!」って言うんで、「そうだよ、働けばいいんだよ。」って言ったんです。前歯が少しないような子なんです。(笑)

そう考えると「不安だったんだな。」って、今思うと。でも、そこでめでたく都立工芸高校に受かりました。




都立工芸高校での授業

デザイン科の授業とは

どういうことするんですか、都立工芸高校のデザイン科っていうのは?

いろんな科があるんですよ、都立工芸高校には。

今はおしゃれな言い方をするんですけど、デザイン科の他に、室内工芸科とか印刷科、金属工芸科、あと機械科がありました。

デザイン科だけは女の子が多かったですね、私たちの時代は。機械科はほとんど男の子だったかな。

デザイン科は広く浅くデザインのことを勉強するんです。グラフィックとか平面の構成を勉強したり、製図の描き方もするし、レタリング、色彩、デッサン。

立体の方では、焼き物とかペーパーで立体のものを作ったりしていました。あと、デザインでも工業デザインと商業デザインもやっていましたね。

例えば、世の中の公共のもの、電車とか車とか、標識とかね。あとは、ゴミ箱とか売り物のパッケージとか。そういうデザインを広く浅く勉強する。

あとは、カメラで写真を撮って、現像するっていう授業もありました。そこの中で、機織りもあったんですよ。

でも、なんと私の代から機織りの授業がなくなっちゃって。

えー!?機織りがやりたくて、都立工芸高校に入ったのに!?

そうなんです。すごいショック。

実習室の前には機織り機がいっぱいあるのに、授業はやらなかった。

でも、都立工芸高校は本当にいい学校でした。

先生と生徒の関係とか友達の人間関係がすごく自由で、ものを作る人達だから人の想いとかを尊重をできる。

普通の学校だと、目立つ子は目立つ、地味な子は地味。目立つ子が優位で、地味な子がどっちかって言ったら優位じゃない感じ。

そういう図式があると思うんですけど、都立工芸高校は違ったんです。

目立つ子は目立って人気者みたいな子もいるけど、地味でメガネをかけて上手く人としゃべれないような子もいる。でも、なんかみんな対等だった。何かを否定するようなこともなかった。

自分は「それは好きじゃない。」とか「そうはしないな。」と思っても、そういう「想い」とか「気持ち」っていうのをみんな聞き入れる。そういう雰囲気が自然とあったんですよね。

それは都立工芸高校を卒業してから気がついたんだけどね。その時は普通だと思ってた。自然な流れでそうなってたんだよね。

なんで都立工芸高校にはそういう雰囲気があったんですかね?

「ものを作りたい」とか「何かやりたい」と思っている人達の、特有な何かなんだと思う。

自分が「やりたい。」と思っていることを頭ごなしに「それは違う!」って言われるのも、何か違うでしょ?きっと聞くんだよ、みんなの想いをね。

でも、その分なんか先生に反抗するとか、「若さ爆発!」っていうのには欠ける高校だったかな。普通の高校に比べるとね。

中学校を出て高校に入ると、パーっと自由にはっちゃけたくなる子っているじゃない?

なる子は一瞬なるんだけど、先生もそんなことに対してうるさく言わないのと、もともと結構自由な学校だったんだよね、都立工芸高校は。

「標準服」っていうのはあったけど、別にそれを着ても着なくても良かったし、私服でも良かったから。「半私服」って言って、制服のスカートに私服のシャツでも良かったんだよね。

だから、私も友達の中学校の制服をもらって着たりとかもしていたの。きっと、何かに反発して変なことをしたくなっちゃうんだよね。

自由すぎると、逆にそういう気持ちにならないのかもしれない。なんかすごくのんびりした雰囲気だったんだよね。「何なんだろうね、この空気感は。」ってみんな言ってた。




都立工芸高校とは

都立工芸高校はどこにありますか

都立工芸高校って、どこにあるんですか?

水道橋の駅前。屋上を見るとね、「都立工芸高校」って看板が出てるんですよ。あれは、デザイン科の生徒達が描くんですよ。

でも、あれは新しくなった校舎なので、今は「実習所」っていうのと一緒になってるんですって。

校舎が新しくなってから、「工芸祭」っていう文化祭には、私も何度か行ったことがあるけど、前の校舎は古かったから。もっとボロボロした感じ。味があって良かったんですけどね。

都立工芸高校って昔も成績がいい学校だったらしくて、「天皇陛下が来た時に座った椅子」っていうのが室内工芸科に置いてあったの。

すごい丁寧に保管されてるんだろうなと思って、「見に行こう、見に行こう!」って行ってみたら、全然普通に使ってた。(笑)

バネがビヨーンってなってたりとかして、「こんなものなんだな。」と思って。

でも、都立工芸高校は、すごいいい高校でしたね。

高校生の時は何が楽しかったんですか?

何が楽しかったんだろう?でもやっぱり都立工芸高校の雰囲気だったり、友達だったり、環境はすごく好きでしたよ。

勉強もそんなにいっぱいしたいわけじゃかったので。

だから、3年生になったらデザイン科は数学の授業がなかったですもん。

あの頃はバブルが弾ける前だったから、ほとんどの人が就職だったんです。

「進学」って言っても、大学に行くよりも専門学校に行くっていう人が多かったですね。

花屋「花やMOMO」