自分で調べることが好きだった学生時代と経営者の父

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自分で調べることが好きだった学生時代

アクセサリーデザイナーとして独立する人は、どんな幼少期〜学生時代を過ごすのでしょうか?

今回、アクセサリーデザイナーとして独立した中田チサ氏に、「自分で調べることが好きだった学生時代と経営者の父」というテーマでインタビューを行いました。
自分でやりたかったという幼少時代から、勉強が好きでカルチャーの洗礼を受けた学生時代、アウトドアアイテムのメーカーを経営していた父親の事など、今までの人生を伺っています。




名前をカタカナ表記している理由

本名はひらがななんですか

本名は平仮名なんですか?

いえ。
上智大学の「智」に、サンズイに少ないの「沙」で、「智沙」ですね。

なんでカタカナにしているんですか?

バランスがいいからですかね。
パッと見て覚えてもらいたいんですよね。
あんまりデザイナーの名前が出たりしないんですけど、アーティストとして出る時とかに、普通に漢字だと人の記憶に残らないので。
「中田」も簡単だから、「チサ」もパパッて入ってきて、似た名前の人がそんなにいないので。
でも、似た名前の人がいたんです、AKBに。
「中田ちさと」っていう人がいたんですよ。

カルチャーの洗礼を受けた中学生時代

出身はどこですか

ご出身はどこなんでしたっけ?

東京です。
千葉に近い、ギリギリ東京ぐらいのところです。
下町の方ですね。
だから、あんまり胸張って「東京」って言えないんです。(笑)
私、中高と私立に行っちゃったので、あんまり地元にいなかったんです。
なにかにつけて池袋に行ってました。
イキがりたいじゃないですか、中学生・高校生の時って。
だから、「地元では遊んでられないわ。池袋とか渋谷とか原宿の方が楽しいもの。」みたいな感じでした。
でも、ちょっと方向性が違っていて、普通は渋谷とかに行くんでしょうけど、高円寺ばかり行っていました。

何が好きだったんですか、中学生の頃は?

中学生の時は、音楽も本も古着も映画も、サブカルチャー的なものが全部大好きでした。
中学生の時に行き始めた、絵画教室の先生がめっちゃ詳しくて。
小学生から中学生の時って、カルチャーの洗礼とか受けないじゃないですか。
それを中学生の時に初めて受けて、それがすごく楽しくて。
今まで生きてきて、自分の年代のものしか知らなかったのが、昔の映画を観たり、昔の服を買ったりするようになって。
知らないことがいっぱいあったから、知ることが楽しすぎて。
あの時が一番貪欲でした。

中学生から好きだったんですか、早いですね。

今の子に比べれば全然ですよ。
YOUTUBEとかネットがあるから。
私が学生の時は、電話回線だったので。(笑)
電話すると使えないやつ。
遅かったです。
つながると「ピー、ガガガガ」って言ってましたから。(笑)
でも、ネットがない時代に学生だったのがよかったなと思っています。
自分で図書館に行って調べたり、音楽だったらライナーノーツとか読んだりしてましたから。

何ですか、「ライナーノーツ」って?

CDについてる解説本みたいなやつです。
あとはそういう本を買ったりして、知りたいことを自分で調べてました。
知りたい単語を入れて検索するんじゃなく、自分で調べて、読んでマーカーひいて覚えるみたいな。
それが今につながっている気がします。

中学生の頃はどんな音楽を聞いていたんですか?

中学生の時、「メロコア」がめっちゃ流行ってたんです。
あとは、ジャパニーズヒップホップとか。
中1の時はよく分からないから、メロコアとかを聞いて、「あぁ、楽しいな。」って思ってたんですけど、その絵画教室の先生が誕生日に「ジャッキー・ミットゥ」っていう、60年代のスカの人のCDをくれて。
全然違うんですよ、今まで聞いていた音楽と。
「かっこいい!」と思って、そこから60年代のスカとかジャマイカが好きになって、セーラー服でレコード屋さんとかに行ってました。
1枚1000円とか1500円とかのレコードを買ってましたね。
今考えたら安いんですけど、中学生にしたら高いじゃないですか、お昼マックとかで我慢するのに。
慎重に選んで買ってましたね。
視聴もできるんですけど、なんか恐れ多くてできなくて。




自分でやりたがった幼少時代

小さい頃

ちっちゃい時はどんな子だったんですか?

私あんまり覚えてないんですけど、ちっちゃい時は我が強かったみたいです。
なんでも「自分でやりたい。」っていう子だったみたいで。
自転車も後ろから押されて「こうやってやるんだよ。」って教えられるのが嫌で、一人で覚えたみたいで。
おばあちゃんの家が横浜の方にあるんですけど、家の前の道路が車が全然通らないので、ほぼ遊び場みたいな感じになっていて、自分で転びながら一人で練習して乗れるようになったみたいです。
たぶん、血だらけですよ。
あとは、お母さんが本を読んでくれるのが嫌で、「自分で読みたい。」みたいな。

読めるんですか?

読めないんじゃないですかね?(笑)
人がやってくれるのをじっと待っているのができなくて。
「私はこうやりたいのに、教えられてやるのは嫌だ。」みたいな。
でも、子供心に教えられた方がうまくいくっていうのは分かってると思うんですけど、なんか嫌だったんです。
そこの我慢がきかなかったんだと思います。
あとあと聞くと、そう言われますね。
あとは、保育園の時も自分で遊びを作りたかったみたいで、今でも覚えているのが、すごい仲良い子と「どうどう君」っていう遊びを考えて。
名前も自分達でつけていて、1人が馬になって、もう1人がその上に乗って、「どうどう」って言いながら歩くっていう。(笑)
ちゃんと上と下は入れ替わりますよ。
でも、先生に怒られたんです。
「人の上に乗っちゃダメだよ。」って。
でも、「2人は楽しいのに、なんでダメなんだろう?」と思って。
対等だし、いじめてないし、楽しくて、自分たちで作った遊びを怒られるのがよく分からなかったです。

反発とかしなかったんですか?

保育園って大きい部屋があるじゃないですか。
怒られるから、端っこの方でやってたんですよ。
楽しかったんですよね。

本と勉強が好きだった小学生時代

小学生の時は

小学生の時はどんな感じだったんですか?

すごい本を読んでました。
暗くて怖い話とか。(笑)
小学校の4年生か5年生の時に「ジキル氏とハイド氏」とか読んでました。
たぶん小学生用に読みやすくなってると思うんですけど、そういうのにハマって。
「モルグ街の殺人事件」とか。
大人の有名ミステリーを小学生でも読みやすく、ひらがなを増やしましたよ、みたいなやつとか読んでました。
図書室で借りて帰って、家で読むみたいな。
学校ではドッジボールとかしてましたね。

小学校から中学校に入るときに受験をしたんですか?

しました。
私が自分で「私立に行きたい。」って言って。
勉強が好きだったんです。
知らないことを知るのが楽しくて。
下町の方だったので、公立の中学校が荒れてたんですよ。
窓から椅子が投げられて、全員一回帰らされたりとか。
ちょうど荒れている時だったんですよね。
校内で爆竹とか煙玉とか撒いて。
それで、毎日じゃないですけど、お姉ちゃんが途中で帰ってきたこともありましたね。
私は「勉強がしたい。」と思っていたので、「私立だったらそういう先生もしっかりいるし、ちゃんとシステムもあるんだろうな。」と思って、「私立行きたい。」って。
親も「あ、じゃいいよ。」みたいな感じでした。
そんなに生活に余裕があったわけじゃないと思うんですけど、「本人が言ってるから行かせてあげたい。」みたいな感じで、姉は公立、私は私立っていう。
お受験とかしてました。




経営者だった父

経営者の父

ご両親はどんな方なんですか?

父は会社を経営していました。
山登りの靴下とか、山登りのカッパとか作ってましたね。
そういう商品を大手スポーツショップに卸してました。
父親の親が始めたので、自分で一からっていうわけじゃないんですけど、社長業をやっていましたね。
社員がたくさんいるっていうわけでもなかったので、割とこぢんまりとした会社だったから、私が就職しないことも、アクセサリーで自営をしていくことも、特に抵抗はなく受け入れてくれました。
会社に所属しないっていうことに、特に抵抗がなかったんですよね、きっと。
今年畳むんですけどね、会社。
うち、女の子2人なので、継がないんですよ、会社。

アクセサリーブランド「YORTZ」

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アクセサリーデザイナーとして起業する方法

今回、「自分で調べることが好きだった学生時代と経営者の父」というテーマでインタビューを行った中田チサ氏に、「アクセサリーデザイナーとして起業する方法」を伺いました。
中学生の頃に初めて絵画教室に通い、美大を卒業後、アーティストを目指して創作活動をしていた下積み時代。
一度は夢を諦め、画材メーカーへ就職。
二足のわらじを履きながら、アクセサリーデザイナーとして独立するまでの人生をインタビューしています。
特に中田チサ氏が起業する際にとった実際の行動に焦点を当て、聞いています。
アクセサリーデザイナーになりたい方や、ゼロからの起業・独立を考えている方にオススメの一冊です。


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