27歳で初めて就職した画材メーカーの正社員

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初めて就職した画材メーカーの仕事とは

初めて就職した会社はどんな会社ですか?

初めて就職する会社は、キャリアを積んでいく上でとても重要ですが、就職する方法は多岐に渡ります。

今回、アクセサリーデザイナーとして独立した中田チサ氏に「27歳で初めて就職した、画材メーカーの正社員の仕事とは」というテーマでインタビューを行いました。

画材メーカーに就職した経緯、就職先の画材メーカーの仕事とは、就職した画材メーカーを辞めた理由、仕事に対する想いなどを伺っています。

現在、就職活動を行なっている方や、これから就職を考えている方の参考になれば嬉しいです。




画材メーカーに就職した経緯

就職することになった経緯とは

27歳で初めて就職したんですか?

画材のバイト時代の上司が会社を変わることになったんです。その上司がすごくいい人なんです。

私がずっと「自分の絵で食べていきたい。」って思っていたのは知っていて、社員になれなかったことも知っているので、上司が転職する時に「転職先の画材メーカーで営業の女性を探しているから、中田さんよかったらそこに就職しないか?」って言ってくれたんです。

額縁とかを作っている同じようなメーカーだったんですけど、職種が営業なんですよ。それまでは時給制のアルバイトで、「自分の絵を描いて画材を売る」っていう仕事だったんです。

でも、画材メーカーでやる営業の仕事は私の絵は関係なく、「正社員として額縁の木を売る」っていう仕事になるので迷ったんですけど、やっぱり待遇を考えて、その就職のお話を受ける事にしました。

就職する時にもう「アクセサリーをやりたい。」と思っていたので、後から言ったらいけないなと思って、面接の時に「実はやりたいことがあって、社員生活は自分の中でも2年で辞めようと思っています。だから、長くはこの会社にいないつもりでいるんですけど、いいですか?」って話したら、「いいですよ。」って言ってくれて、それで就職することになりました。

それで、就職してどうなったんですか?

就職した会社も額縁を作っているので、さっきの造形屋みたいにめっちゃ遠いところにあるんですよ。埼玉県の奥地にあって、そこまでスーツを着て行っていました。

その時も一人暮らしをしていて、1回家が変わるんですよ。画材メーカーへの就職の話が来る前に、西荻窪から埼玉県に引っ越していて。

大学時代の友達が「アトリエを共同で借りるから、よかったら一緒に借りない?」って言ってくれて、埼玉県の朝霞っていうところに引っ越したんです。

家賃が安かったのと西荻窪からも近かったので、一緒に借りる事にしたんです。就職してすぐは、西荻窪からチャリで40分〜50分ぐらいかけて行ってましたね。

住んでたアパートも手狭になってきたので、思い切り描けるアトリエを借りたんですけど、「3.11」が起きて、私が住んでいたアパートがボロすぎて、取り壊しになったんですよ。

それで「引っ越さなきゃ。」っていうのもあったのと、西荻窪時代にバーで働いていたんですけど、結構飲むのも好きだったので、「絵がうまくいかない。」とか「公募に落ちた。」っていう時に、飲みに行ってしまっていたんですよね。

知り合いがたくさんできてきたので、飲みに行ったら誰かに会う、会ったら楽しい、2軒目行く、3軒目行くっていって、朝方帰ってきて寝て、次の日がまた始まるっていうのがだんだん日常化してきていて、「このままじゃダメになる。」と思って。

楽しくて気分は晴れるけど、公募に落ちた原因に向き合ってないし、気分だけスッキリしてたら、何も進歩しないじゃないですか。

「楽しいけど、この街にいたらダメになる。」と思って、アトリエがある朝霞に引っ越したんです。そうしたら、飲みに行く知り合いも1人もいないし、飲みに行くお店も分からないので、飲みに行かなくなるんですよ。

それで、ずっとアクセサリーをやりたかったので、やり始めたんです。上司から紹介された就職先がたまたま埼玉で、住んでいるところと近くて通えたんですよね。




就職先の画材メーカーの仕事とは

就職先の営業の仕事とは

就職先での営業の仕事はどんな感じだったんですか?

営業職で就職したんですけど、あんまり向いてなかったです。営業自体はほとんど上司がやっていて、営業補佐みたいな感じだったんですけど、上司がアポイント取って、「うちの額縁を見てください。」みたいな感じでした。

その営業に一緒について行って、私は上司の営業がうまくいく資料を作る役だったんです。

うちの上司的には、「ゆくゆくは私にも担当を持ってもらいたい。」っていうのがあったみたいなんですけど、私は心の中で「2年で辞める。」と思って就職していたので。

上司は営業がすっごいうまくて、超いい人だったんです。

額縁を紹介する時に、「こういう資料があったら、もっと分かりやすいな。」とか考えて資料を作っていたんですけど、だんだん製作の方の仕事になっていって、ほとんど外に出なくなっていったんですよね。

最終的には、あんまり営業してなかったですね。

そういう資料って、何で作るんですか?

イラストレーターとか、フォトショップで作ります。最初は全く使えなかったんですけど、自分で本を買って独学で勉強しました。

自分が大学を卒業してから個展をやっている時に、写真を基にした作品を作っていたのと、「ポートフォリオ」っていう自分の作品の本みたいなのを作るんですけど、それでフォトショップもイラストレーターも使うので、本を3〜4冊ぐらい買って、膝で広げて見ながら、独学で勉強しましたね。

資料作るようになって、その後は?

就職した会社が接着剤とかも作っている会社だったので、化学者の人がいたんですよ。接着剤の配合を決めたりする、理科っぽい人。アットホームな会社だったんですけど、おじいさんが多かったんですよね。

全部で社員は13人ぐらいだったんですけど、私が28歳で、一番歳が近い人が46歳。たしか、次が53歳だったと思います。あとは全員60代か70代でした。だから、すごく優しくしてくれたんです。

30代の上司だったら、ガーって言われてたと思うんですけど、甘やかされてた社員時代でしたね。樹脂をやりたかったので、就職してから樹脂の勉強を始めました。

ボトルの裏側を見ると、成分が書いてあるじゃないですか。それを見て、化学者の人に「これなんですか?」とか「これで作ったやつは脆いですか?」って聞いていました。

おじいちゃんだからすごく優しく教えてくれたんです。時間外でも調べてくれて、「こうだよ。」って教えてくれて。

それで、正社員として就職しながら、樹脂の知識とか自分が作りたいアクセサリーの製法とかを2足のわらじで進めていった感じです。




就職した画材メーカーを辞めた理由

就職した画材メーカーを辞めたのはいつですか?

就職した会社は2013年の9月に辞めました。

その年の6月に、東急ハンズのポップアップショップで7日間の休みを取っていて、さらに10月に展示会だけでも3日、搬入を入れると4日の大きな展示会に出なくちゃいけなくて。

準備期間も考えて、有休がなかったらとてもじゃないけど無理だったんです。

取引もしているし、並行して土日はイベントに出ていて、その時にはもう渋谷PARCOのお店とも取引ができていて。「どう考えても無理だ。」ってなって、ついに「辞めます。もう無理です。」って言ったんです。

そうしたらなんて?

「わかった。」って。(笑)就職した時の面接で言ってたのも覚えているし、実は上司が「私が今どういう状況か」っていうのを全部話していて。本当は就業規則で副業しちゃダメなんですよ。

就業規則に引っかかっちゃうと思って、ずっとひた隠しにしていて、東急ハンズのイベントの時も「居るだけです。絵を出すだけです。」って嘘をついたんですけど、上司もすごいできる人だから、全部見越して分かっていてくれて、話をしてくれていて。

「実は全部聞いていたんだよ。」って言われたんです。

その取締役の人も私が副業しているのも分かっていたけど、黙っていてくれて。「僕たちはもうおじいさんだから、若い人のやりたいことを応援したいんだ。」って言って、突然辞めることも了承してくれたんです。

いい会社ですね

めっちゃいい会社じゃないですか。

そうなんです。「これはみんなには内緒だけど、週3出勤でいいよ。あとは営業していることにするから、自分の制作をしていいよ。」って言ってくれて。

それが就職して1年11ヶ月の頃で、2年やったら退職金が出るんですけど、もう1ヶ月我慢するのは無理だったから、1ヶ月を前にして辞めました。

その時、たまたま席が隣だったパートの経理をやっていた人もすごくいい人で、すごい応援してくれたんです。私、フォトショップとイラストレーターはできたんですけど、エクセルができなくて。

でも、東急ハンズの納品は全部エクセルでやらないといけなかったんです。その人は昼休みが1時間しかないのに、全部使って教えてくれて。

1人じゃ不安だったから、「これどう思いますか?」とか、「どっちのサイズがいいですかね?」とか、全部相談していて、めっちゃいい人だったんですよ!

東急ハンズでポップアップショップをやった時も見に来てくれて、買ってくれて、Facebookで紹介してくれて。「フリーランスになる」って不安が多いんですけど、「私は大好きだから、応援してるから。中田さんならできるよ!」って。

結構歳は違った方だったんですけど、同年代に言われる「大丈夫。」と年上の人に言われる「大丈夫。」は違うんですよね。その人は「何があっても私は応援してるから。」って言ってくれて。

それで私は就職した会社を辞めて、その人も会社を辞めちゃったんですけど、今でもお店に来てくれたりして、みんなすごくいい人なんです。

会社を辞めた自分の行動を、元の会社に宣伝するのとか気が引けて、ポップアップショップとか言ってないんですよ、全然。

しかも、固定のお店をやっていないのに、いきなり上司が現れて、「あれ!?なんで知ってるんですか?」って。「いや、ホームページいつもチェックしてるんだよ。」って言って、来てくれたんです。

「お店をやるって見たから、来たよ。すごいね。」って。

その人がアルバイト時代から私を連れ出してくれて、会社を辞めるのを見越しても就職先を紹介してくれて、いいようにしてくれて。

仕事に対する想いとは

今までの人生でターニングポイントはいつですか?

27歳の時の就職ですね。その時、気持ちの中で「絵を描いてお金をもらっていた仕事を辞めて、営業で就職する。」って思った時に、やっぱりやりたくなかったんです。

「やりたくない事をやるんだったら、いずれ自分で稼げるようになろう。」って思って、「やりたくない事をやる代わりに、そこから抜け出す努力をしよう。」って。

それが大きかったですね。「やりたくない。」って言ったら、よくしてくれた会社に失礼なんですけど。でも、会社と仕事内容は違いますから。会社はすごくよかったんですけど、やっぱり自分の絵で食べていきたかったから。

アクセサリーブランド「YORTZ」

アクセサリーデザイナーとして起業する方法

今回、「27歳で初めて就職した、画材メーカーの仕事とは」というテーマでインタビューを行った中田チサ氏に「アクセサリーデザイナーとして起業する方法」を伺いました。
美大を卒業後、アーティストを目指して活動していた下積み時代、夢を諦め画材メーカーへの就職。
そこから、アクセサリーデザイナーとして起業するまでの波乱に満ちた人生をインタビューしています。
特に中田チサ氏が起業する際に実際にとった行動に焦点を当て、聞いています。
アクセサリーデザイナーに興味がある方や、起業や独立を考えている方にオススメの一冊です。


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