アーティストを目指して下積みの仕事をしていた5年間

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アーティストになる為下積みの仕事をしていた5年間

アーティストを目指して、下積みした事がありますか?
アーティストを目指して活動をしていると、最初はご飯を食べられない事も多々あります。
そんな時は、違う仕事をしながら生活費を稼ぎ、空いた時間で創作活動を続けていく必要がありますよね。

今回、アクセサリーデザイナーとして独立した中田チサ氏に「アーティストを目指して下積みの仕事をしていた5年間」というテーマでインタビューを行いました。
美大を卒業後、画材メーカーの仕事をしながら、公募展や個展を開いていた下積み時代のエピソードを伺っています。

美大を卒業した後

就職活動はしましたか

美大を卒業した時は、就職活動をしたんですか?

ほとんどしなかったです。
就職するのが嫌だったんです、「まだ絵描きたい。」と思って。
美大ってなんとなく「社会の歯車になりやがって、就職した奴ら。」みたいな雰囲気があるんですよ。
科によるんですけど、「美大生だったら、バイトをしながら絵を描き続けて、アーティストを目指していくのが普通。」みたいな、間違った一般常識があるんですよね。
だから、「就職しなくて当然。する人は真面目だね。」っていう感じでした。
それで、友達が美術の画材メーカーでバイトをしていて、「バイト探しているからやらない?」って言われて、そこはずっと使ってるメーカーだったから、「やりたい!」って言って、そこでバイトをやり始めました。
そこでの仕事は「1日に2〜3件お店を回って、足りない画材の発注を取ってくる」っていう仕事でした。
私は美大を卒業すると同時に一人暮らしを始めたんです。
大学にはアトリエがあって、卒業したらアトリエがなくなるけど、絵を描きたい。
でも、実家は狭いんですよ、普通の賃貸なので。
「絵を描けないから、アトリエ兼住居で借りちゃおう。」みたいな感じでした。
それで実家を出て、初めての一人暮らしだからお金もないし、しかも個展を開きたいし、美術の画材のお金もかかるので、バイトを4つぐらいやってましたね。
ほとんど休みはなかったと思います。

どんな仕事をしていたんですか?

さっきの画材メーカーの仕事と、もう1個は普通に情報誌で見つけてやり始めたんですけど、美術館で監視したり、グッズを販売したり、チケットを切ったりする仕事でした。
「美術館で働ける」っていうのが嬉しくて、少しでも絵とか美術に関わっている仕事がしたかったので、基本的には画材メーカーの発注と、美術館の監視と、あとは臨時で試験の監督とか、いろいろな仕事をやりましたね。
他にも色々な仕事をやったんですけど、忘れちゃいました。
その生活が22歳から27歳ぐらいまで続くんです。
あとはバーで働いたりもしました。
夜ってあんまり仕事がないじゃないですか。
画材の仕事も美術館の仕事も夜は空くので、夜は夜中の2時くらいまでバーで仕事をして。
それで、なおかつ家では絵を描いてっていうのをやってました。

下積み時代に住んでいた家とは?

下積み時代に住んでいた西荻窪の家

その時は西荻窪に住んでいたんでしたっけ?

高校生の時に高円寺がすごい好きだったので、高円寺に住みたかったんですけど、高円寺はすごい家賃が高くて、西荻窪にしました。
高円寺よりは西荻窪の方が家賃が安いんですよ。
絵を描きたかったので、普通の人が暮らすワンルームだったら間に合わないんですよね。
アトリエ兼住居だったので。
西荻窪で、3畳+6畳+4畳の2Kに住んでました。
3畳が寝室だったんです。(笑)
江戸間っていうんですか?
普通よりは少し広かったんですけど、3畳と6畳がふすまでつながっていたので、ふすまを取っちゃって、大きい10畳くらいの3畳分だけが生活スペースで。
あとはアトリエとして使っていました。
その3畳についてる押入れ1畳分を机にしてたんですけど、結構快適でした。
築40年ぐらいのところで。
天井も高いので、そんなに窮屈じゃなかったですね。
家賃63000円で、駅から徒歩20分でした。
「西荻窪では破格だよ。」ってみんなが言ってましたね。
確かに2Kで63000円は破格だと思います。
昭和の家みたいでした。
4つしか部屋がなくて、ドアがすごかったんですよ。
最初、鍵を見せてもらった時には、ディンプルキーだったんです。
「え!?63000円でディンプルキー?」って思ったら、ドアがよくあるトイレのドアみたいな、ドアノブに鍵を挿すやつだったんです。
ドアノブの鍵がディンプルキーだっただけで。(笑)

すごい家に住んでたんですね。

家に入ってドアを閉めたら、ガッチャンっていう鍵があるわけじゃなくて、ドアノブにトイレみたいな鍵がついてるだけなんです。
「トイレのドアみたいだな。」と思って。(笑)
ドアが規格に若干合ってないから、隙間風がすごいんですよ。
もちろんチェーンもないし、鍵も1個しかないので、防ぎようがないんですよね。
階段もあるけど、階段の側面はないんです。
昔の昭和のアパートにある、「カンカンカンカン」って上がるような、あんな感じの階段でした。
そこに5年半ぐらい住んでました。

見たことない生物とか出ませんでした?

ゴキブリはめっちゃ出ました。
しかも、隣がコンビニだったので便利だったけど、ホットスナックとかやってるので、それが原因かは分からないけど、めっちゃゴキブリ出て。
でも、ゴキブリ平気なんですよ、潰せるので。
「怖い!」とかならないんですよね。
「あ、出た!」「パン!」って感じです。(笑)
うちは親が両方とも大丈夫なので、たぶんその影響です。
あんまり怖くないですね。

下積み時代の活動とは

下積み時代はどんな活動をしていたんですか

22歳から27歳まで、アルバイトをしながらどんな活動をしていたんですか?

「公募展」っていうのが、結構いっぱいあるんです。
絵とか資料を送って、一次が通ったら二次で、絵を持って行ったりして、賞をもらうっていう。
何とか展とか、何とか賞とか、そういう公募展に作品を送るっていう生活ですね。
「公募展」って言ってもいろいろあるので、自分が出したいやつとか、私が好きなアーティストの人が審査員をやってるやつに送ったりしてました。
一般的に言う「コンテスト」みたいなやつですね。
公募展に入賞すれば、ハクもついて履歴になるし、副賞ももらえるし、ちょっと道が開けるんです。
だいたいアーティストになると、みんな公募展に出て、ステップアップしていくっていう流れですね。
それを22歳から27歳まで、5年くらいやってました。
あとは、ギャラリーを借りて、1週間展示をしたりもしていましたね。
ギャラリーもどこでもいいわけじゃなくて、ジャンルもあって、有名なところも無名なところもあるんですけど、有名なところは高いんですよ。
1週間30万円とかするんですよね。
その時は頑張ってお金を貯めて、1週間30万円のところにも出しましたね。
今思うと海外旅行とか行けばよかったと思いますけど、その時の一番の夢がそれだったんです。
5年間応募し続けたんですけど、経歴は超乏しいですよ。
入賞した作品は2個ぐらいしかないです。
書けるような経歴じゃないですね。

下積みを辞めた理由とは

それで、27歳の時に何があったんですか?

5年半そんな感じで活動していて、だんだん自分のことも世間のことも分かってきたんです。
学生の頃は「頑張ればなんでもできる。」と思ってたんですけど、「違うな、売れる才能と売れない才能はあるんだな。」と思ってきて、26〜27歳になって、自分の中で自分の限界がだんだん分かってくるんですよね。
それで、画材の方の仕事はデモンストレーターとか講師っていう仕事もだんだん入ってきたんですけど、時給制だし社員にはなれないから、生活はずっと変わらないままで、「このままで40歳になったらよくないな。」と思って、その画材メーカーに「社員になりたい。」って言ったんですよ。
そうしたら「3.11」の後だったので、経済が1回落ち込んだ時で、「社員は難しい。」って言われて、そこで初めて就職するんですよ。27歳にして。

アクセサリーブランド「YORTZ」

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アクセサリーデザイナーとして起業する方法

今回、「アーティストを目指して下積みの仕事をしていた5年間」というテーマでインタビューを行った中田チサ氏に「アクセサリーデザイナーとして起業する方法」を伺いました。
美大を卒業後、アーティストを目指して下積みをしながら創作活動を続けますが、27歳の時に自分の才能に限界を感じ、夢を諦めて画材メーカーへ就職します。
しかし、アクセサリーという新しい分野で自分の絵を表現できないかと模索し、アクセサリーデザイナーとして起業するまでの経緯を詳しくインタビューしています。
特に中田チサ氏が起業する際に実際にとった行動に焦点を当て、聞いています。
現在、夢に向かって下積みをしている方や、起業・独立を考えている方にオススメの一冊です。


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