大学時代はどんなバイトをしていましたか?
今回、人材コンサルタントとして独立した安田剛氏に「18歳で始めた人生を変えたホテルのレストランでのバイト」というテーマでインタビューを行いました。
大学に行かずにホテルのバイトに明け暮れた大学時代、ホテルのバイトで出会った2人の社員、バイトで学んだ仕事に対する価値観などについて伺っています。
ホテルのレストランでのバイトに興味がある方や、これからバイトを始めようと考えている方の参考になれば嬉しいです。
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目次
静岡にできたワシントンホテル

大学に行かないで何をやっていたんですか?
バイトが楽しすぎて。
ホテルでウェイターをやっていました。
たまたま1年目の秋ぐらいに、静岡に「ワシントンホテル」っていう全国チェーンのホテルが新しくできたんですよ。
それまではカフェレストラン的なところでバイトをしていました。
なんか接客が好きだったんですよね。
引越しのバイトとかもしましたけど、人を見るのがもともと好きで、接客のバイトがいいかなと思って。
その時はカフェレストランでバイトをしていたんですけど、そのホテルでバイトの募集があった時に、「あ、これはいい!」と。
ホテルのバイトだと、時給が高かったんですよ。
「同じ接客のバイトなら、そっちだろう。」と。
それで、ホテルに移ったわけですよ。
そしたら、そこで本当に最高の兄貴分と姉貴分に会えたんですよね。
兄貴分はもちろんワシントンホテルの社員で、ホールをまとめる「ホールチーフ」と呼ばれる存在の人。
姉貴分は地元採用の人なんですけど、ホールを取り仕切っている女マネージャー的な人だったんですね。
この2人が抜群で、仕事ができるし遊ぶのが豪快なんですよ。
その人達に仕事の仕方から遊び方、飲み方までいっぱい教わったんです。
そのレストランが夜中の2時までだったんですけど、だいたい6時からバイトに入っていました。
大学生なので、本来昼間は大学に行っているはずじゃないですか。
でも、大学にはほとんど行かずにバイトばっかりしていましたね。
そのホテルが、市の中心部にあるホテルだったんです。
12時で引ける飲み屋のママさんとかが、お客さんを連れてちょっと1杯飲みに来るのに、2時くらいまで開いてるっていう、ちょうどいいレストランだったんですよね。
ホテルの中のレストランですよね?
ホテルの中のレストランですよ。
ホテルの中に、和食のレストランと、中華のレストランがありました。
中華のレストランに宴会場が別途あって、洋間がたくさんあって、完全フリーの和室も200人ぐらい入れるのかな?
静岡に草薙球場っていうのがあるんですけど、野球チームがそこで試合があると、よくそこのホテルに来ていたんですよね。
日ハムも来てましたし、ヤクルトも来ましたし、阪神も来ました。
あとは、隣が東宝さんだったんですね、映画の。
だから、東宝の社長さんから俳優さんから、映画関係者まで、舞台挨拶とかをやったりしたら、そのまま飲みに来たりしていましたね。
静岡でコンサートがあると、チャゲアスとかハウンドドッグとか、久保田利伸とかいろんなアーティストもコンサートをやった後にそこのホテルに泊まっていました。
「ちょっと飲みに。」っていうと、その宴会場か、中華のところにバーカウンターもあったので、そこで飲んだりしてましたね。
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優秀だったホールマネージャー

中華のレストランにバーカウンターがあるんですね?
そうなんですよ。珍しいですよね。
洋食がないホテルだったので、和食と中華だけだったんですよ。
その中華が「中華」って言っても、コテコテの中華ではなくて。
中華にしては珍しいタイプの、ちょっと洒落た感じの、明るいイメージの中華だったんですよね。
「中華」っていうと、真っ赤なイメージじゃないですか。
薄めのピンクなんですよ、イメージカラーが。
ホテルのレストランで中華なので、薄いピンクだとわりと品良く見えるんですね。
濃いピンクだとちょっと怪しい感じになると思うんですけど。(笑)
わりと品良く見えたからかもしれないんですけど、すごい人気のお店だったんですね、当時。
そこのレストランを繁盛させるキーになったホールマネージャーの人は、その後もあちこち転勤しているんですけど、常に全国トップの成績を上げる人で。
でも、当時24歳とかだったと思います。
当時、私は18〜19歳だったので。
6歳ぐらいしか年齢変わらなかったんですよね。
すごいやり手だったんですよ。
その後もどんどん上がっていった人なので。
24歳ですか?若いですね。
鳥取にすごくでかいワシントンホテルができたんですけど、ワシントンホテルがそこに初めて結婚式場を作ったんですね。
ワシントンホテルってビジネスホテルですからね。
鳥取で一番のホテルをワシントンがそこに作ったんです。
そのマネージャーは最年少で鳥取のワシントンホテルに配属されて、その結婚式場を任されたんです。
常にトップになっていた人が、たまたま面接官で指導もしてくれた人で。
その側に地元の「清水の次郎長親分が女になったらこういう人」みたいな人がいて。
この2人に育ててもらったんで、バイトが楽しくてしょうがなかったんですよね。
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初めてのバイト

カフェでやったバイトが「人生初」っていうことですか?
はい、高校の時はやってないですからね。
奄美大島では「バイトをする」っていう習慣はあんまりないんですよ。
少なかったですね、周りでもバイトをしている人間は。
その辺の感覚が違うんでしょうね。
あんまり「バイトしてる。」っていうのも聞いた事がないし、「バイトして稼いだお金は何に使うんだ?」っていうね。
東京だったら遊べる環境もあるし、お金を使いたい誘惑もいっぱいあるじゃないですか。
でも、奄美大島は海と山しかないですから。
自然相手にお金を使うことってないですからね。
バイトを辞める時は、どうだったんですか?
一番尊敬していたホールのマネージャーをやっていた人は、私が大学の3年になった時に異動してしまったんですよ。
その人と一緒に働けたのは、実は1年半ぐらいしかないんですよね。
女性の方は地元採用なので、ずっと同じでした。
私が誘って、法学科の仲間も2人バイトしていたんですね。
その3人は最後までずっと一緒にバイトしていました。
下の学年に、静岡なんで東海大が近くにあるんですけど、東海大の男が2人いて、よく遊んでいましたね。
その中に広島の男がいて、「広島いいですよ〜!」って言うんで、行ってみたんです。
もう1人は北海道の釧路の男なんですけど、彼と仲良くて、2人で車で中国地方を回ったりしました。
その時、広島の男が言ってた広島のお好み焼きを食べに行ったりとかして。
バイト先での仲間的なつながりが強かったんですね。
人生を変えたバイト

人生を変えたバイトだったんですね。
それで、最初に教えてくれた社員があまりにもできる人だったので、誰がその後釜に来ようが、みんな軟弱にしか見えないわけですよ。
「またこんなのかよ。」っていう感じに思ってましたね、当時は。
「ワシントンホテル」って名古屋が本部なんですけど、静岡のワシントンホテルは名古屋から視察がちょくちょく来るホテルだったんですよね。
その人がいた時はよく視察があって、しかもバイトもすごいメンバーが充実していたし、私も長い事バイトしていたので、「本当にしっかりしているなぁ。」って本部から見られてたんですね。
仕事の充実感はあったわけですよ、ツートップがいた最初の2年ぐらいは。
「仕事って楽しい!」みたいな。
「このまま社員になってもいい!」くらいな感じで思ってたんですよね。
ところが、社員が変わると「たいした事ないな。」って。
最初に見た存在が大きかったので、「なんだろうなぁ。」っていう感じになっちゃったんです。
仕事そのものに魅力を感じなくなってしまったんです。
「やっぱり人が大事なんだな。」っていうのはその時に感じたんですよね。
「誰と一緒にやるのか。」っていうのが。

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