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新卒で就職した商品先物取引の営業と両親の離婚

新卒で就職した商品先物の営業と両親の離婚

商品先物取引の営業とはどんなものなのでしょうか?

今回、人材コンサルタントとして独立した安田剛氏に「新卒で就職した商品先物取引の営業と両親の離婚」というテーマでインタビューを行いました。

新卒で入った商品先物取引会社、両親の離婚、商品先物取引の営業についてなど、お話を伺っています。

これから就職活動を始める方や、商品先物の営業に興味がある方の参考になれば嬉しいです。




新卒で入った商品先物取引会社

新卒で入った商品先物会社はどうでしたか

新卒で商品先物取引の会社に入って、どうなったんですか?

同期が50人いて、三浦半島の先っちょにある城ヶ島で1ヶ月合宿があったんです。

ジャージで寝泊まりして、毎日カツオ食べて。

それで、配属されたのが、私はたまたま東京の本店だったんですね。

商品先物の市場が東京にあるものですから、日本橋蛎殻町にドーンと構えてるわけです、本社を。

金融街のド真ん中ですよね。

同期が50人いたうちの5人が本社配属でした。

私の1個前の代に初めて女性の営業を取っていて、1人すんごいえげつないタイプの女性の営業がいたんです。

会社としても、「これからは商品先物業界も女性の時代じゃないか。」ということで、女性の営業職も何人か採用していて。

本社採用5人のうちの3人が女性だったんですよ。

男は私ともう1人、いかにも「体育会系」っていうタイプの、えらいタイプの違う2人が入ってきたんですね。

先輩達はすごく良くて、相場の勉強もすごい楽しくてよかったんです。

だけど、営業はめちゃめちゃきついわけですね。

当然ですけど。

どういう営業だったんですか?

リストを使った営業もしますけど、電話帳でバーって1件ずつ電話営業をするわけです。

1日300件は普通に営業の電話をかけますから。

でも、「1日300件の電話をする」っていうのは、結構切られるのが早いんですね。

社名を言うか言わないかの時点で切られるっていう。(笑)

「社名ぐらい言わしてもらっていいかな?」みたいな感じはありますけど。

社名を言わない電話営業のやり方も覚えましたけど、営業スタイルは本当に勉強になりましたね。

私、営業としてのスタートはどちらかというと、遅い方なんですよね。

最初の1本目の契約は遅くて、同期5人の中で何番目だったかな?

女性はとにかく早かったんです。

女性の営業はあの時代、まだ珍しかったですからね。

女性から電話がかかってくる時点で、ガードは甘いですよね。

男の社長が多いじゃないですか。

若くてなんとなく可愛らしい声の女性から電話がかかってくると、嬉しくて勘違いぐらいするじゃないですか。(笑)

それで、同期の女の子達はトントンと最初に契約を取って、「あっ!」って。

すると、先輩からの目線がだんだん厳しくなって、プレッシャーがガンガンに来たり。(笑)

でも、1本目の契約が取れてからは、わりとコツが掴めたんですよね。

1本目の契約が取れたのは、1年目の秋ぐらいですよ。

秋ぐらいにやっと取れて、「やっとかぁ。」みたいな感じで。

でも、そこからわりとトントンと行けたので、1年半の段階で同期トップで主任に上がったんです。

その会社は歴史のある会社なんですけど、2年以上の人間じゃないと主任に上がったことがなかったんです。

でも、上司がどういう推し方をしたのか分からないですけど、1年半で上がらせてもらったんですね。

主任に上がれたのはよかったんですけど、人生はちゃんとドラマが用意されているんですよ。

両親の離婚

両親が離婚した理由

何かあったんですか?

仕事はいい状態だった。

家で問題があったんですね。

両親が離婚するという。

全く想定外でした。

さっき言ったように2人兄弟で、姉が先に家を出て、大阪で仕事をしていたんですね。

それで、わりと早い時期に結婚したんですよ。

26歳ぐらいだったかな。

結婚して、早くに子供ができていたので、大阪に所帯があったんです。

私が大学で静岡に行った瞬間に、親は2人きりになったわけです。

大学3年ぐらいの時に「あれ?ちょっとおかしい。」っていうのはあったんです。

気づいてたんですね。

「ちょっとおかしい。」っていうぐらいですけど。

でも、まだ青ガキですので、自分の事しか考えてないわけですよ。

今だったらアンテナを最大限に立てていきますけど、その時はそんなに気にしてなかったんですね。

その当時の体験があるから、今こんな仕事をしているんですけど。

両親が別れたことによって、そこからいろんなことが始まるわけです。

姉は大阪で結婚して、子供がいる。

父は仕事をしています。

母は仕事をしていないですよね。

両親が離婚したら、母は生活ができないですよね、行くところもないわけですから。

それに母の体に支障が出ていたんですよね。

「緑内障」になったんですよ。

「このまま行くと失明だ。どうしよう?」って。

どうしていいか分からないわけです。

23〜24歳の若造ですから。

しかも、仕事がこれからっていうところで、やっと生活ができてきたかなと思ってきた時ですよね。

「え、両親離婚!?母が行くとこない?どっかないの?ないよな。」みたいな話ですよ。

そうすると、自分と暮らすしかないと。

「どうやって暮らしていけばいいの?今のワンルームで暮らせるのか?無理だな。」と。

2部屋はないと暮らしていけないと思って。

「このままこの会社でやっていけるの?」って思った時に、これまたちゃんといろんなことが起こるんですね。




歩合給と家賃補助の減少

上場を目指す会社の社内体制の変化

次は何が起こったんですか?

先ほど、「会社が上場に向かって準備をしている。」って言ったじゃないですか。

「上場に向かって準備をしている。」っていうことは、会社の体制をしっかりしないといけないんですよね。

証券会社もそうだと思うんですけど、商品先物の業界って歩合給が大きいんですね。

お客様にいくら商いをしたかによって、営業マンに歩合給が入るわけです。

だから、「いいお客さんを捕まえて、売った買ったすると営業マンにお金が入ってくる。」っていう仕組みだったんです。

でも、そういう風に不確定要素が大きい会社は、上場の基準にそぐわないんですね。

だから、「いかに固定給の部分を多くするか、不確定要因を減らすか」っていうのが、上場の基準にあるんです。

そうすると、今までウハウハだった上司の人達が、年々歩合給の割合が下がってくるわけですね。

私が就職した年はまだ、課長代理とか課長は「おい、安田行くぞ!」って言って、若造を何人も捕まえて2、3軒ハシゴしても平気だったんです。

でも、歩合の割合が変わった瞬間に、みんな「ピタッ!」っと誘わなくなったんですよ。

「分かりやす〜。」みたいな。(笑)

そういう状態を見ていて、2年目に入る前に次の年がどうなるかも発表されていたわけです。

入社2年以内の人には、家賃補助が7割もあったんですよ。

家賃7〜8万円のところに住んでたと思うんですけど、家賃の7割が補助されていた。

ところが、3年目からは4割だったかな?一気に下がったんです。

家賃補助が年々下がっていくわけですね。

ようは「歩合給で稼げよ。」っていう話なんですけど、その「歩合給で稼げよ。」の歩合の比率も下がっていくと。

「あれ?ちょっと話が違うんじゃないですか?」って思いますよね。

そういう事が2年目には見えてきたんですよ。

歩合給が増えていくんだったら、これから夢を感じられるじゃないですか。

でも、家賃補助も歩合給も減っていくなら、先がないですよね。

確かに厳しいですね。

まだ23〜24歳なので、「結婚がどうだ」とか、先のイメージは全くないですよ。

でも、「親とこれからどうすんの?緑内障どうなるの?失明になったら、俺はどうすればいいの?」っていう、不安だけの頭ですよ。

その中で「何か稼げることをしないといけない。」って思っていたんですけど、そういう時に限って悪い囁きが来るんですよ。

今だったら間違いなく乗らないですけど、会社に私個人宛に電話が来たんですよね。

電話営業だということが、最初は分からないんです。

何かのビジネス交流会の集まりのお誘いみたいな電話だと思ったんですよ。

東京に来てまだ間もないですし、好奇心旺盛だったんですよね。

アンテナをいろいろ立てて、あっちこっち行きたいわけですよ。

当時、いろんなのに入ってたんですね。

例えば、講談社がやってるビジネス交流会とか、六本木に事務所があった英会話教室とか。

いろんなものにアクセスして、「いろいろ勉強してやるぞ!」って思っていて、ローンだけが膨らんでいる状態でした。

ローンを組んでたんですか?

ローンを2つ組んでましたね。

そういう免疫が全くなかったんですね。

「どういう種類があって、どういうものが選べて、なんでそういうコストなのか。」っていうのを、検証する感覚がなかったわけです。

「月々何千円です。」って言われると、「月々いくらだったら払えますね。」っていう、なんと素直な、完全なカモ。

向こうには「カモがネギ背負って来てる。」っていう風にしか見えてなかったでしょうね。

そんな時に両親の離婚があって、「やっと歩合給を稼げるようになった。」と思ったら、歩合も下がる、家賃補助も下がる。

営業もなんとかやってきたけど、「商品先物業界って、本当にしんどい業界だよな。」って思っていましたから。

なにせですね、商品先物取引会社の営業課長までは、まだ見れる顔なんですよ。

でも、営業部長になると、本当に人相が悪いんですよ。

「何人殺してきたんですか?」っていうような人相をしているわけです、部長クラスは。

もう本当、任侠映画ですよ。

下手したらそれよりも、人相悪いですよ。

「本当に人殺してますよ。」っていうような雰囲気。(笑)

人によっては手が震えてましたからね。

「神経おかしくなるわ。」と思いますわ、商品先物の営業の仕事は。

商品先物取引の営業

商品先物取引の怖さ

1年半で分かったんですね、「商品先物取引の営業を続けてたら、絶対やばい。」って。

いろいろ分かりますからね。

ある不動産会社の社長、もう当時で60代〜70代前後のおじいちゃん社長がいたんです。

その人の契約を、最初の方に上司の同行なしで1人で取ったんですね。

不動産会社の社長ですから、お金を持っているわけですよ。

課長がえらい喜んで、「安田、よくやった!」って言って、おごるのがそばなのが本当にショボいんですけど。(笑)

課長はショボい人だったんですけど、上に対しての目鼻は効く人だったんですよね。

それが困ったことだったんですけど、「よくやった!あとは任しとけ!」って。

「え!?『任しとけ!』ってどういうことですか?」みたいな。(笑)

「うちの若い者が、こんな契約を取ってきました!」って部長に言って、「よっしゃー!」って悪徳商会が出てくるわけですよ。

それでどうなるかっていうと、部長が行って「社長、もうワクワクさせたりますから!」って言うわけです。

1年目の終わりくらいに、3回足を運んで契約したお客さんなんですけど、すごくいいお客さんだったんですよね。

「安田君がそこまで言うんだったら。」って言って、いきなり奥に行って、「何してるのかなぁ?」と思ったら、束を2つ持ってきて、「はい。」って。

「なんでもいいよ、安田君がいいと思うものだったら、買って。」って言って、200万円渡されたわけですよ。

そこで電話で注文を出してってやったわけですけど、その部長が出てきたことによって、簡単に桁が上がるわけですね。

何千万円ポーンって入れて、相場がその通りいけばいいですよ。

ちゃんと逆を行くわけですよ、予想どおり逆を。

恐っ!

例えばですよ、1000円で小豆を3000万円買いました。

上がるつもりが下がるわけですね。

1000円が900円、800円、700円って。

「オイショウ」って聞いたことあります?

「追う」に「証拠」の「証」で「追証」って書くんですけど、追加の保証金を払わないといけないんですね。

商品先物って、その掛金の10倍ぐらいの取引をしているんです。

株式だったら1000万円買えば、その相場が100万円上がったら、1100万円にしかならないわけですよ。

でも、商品先物の世界はハイリスクハイリターンなんですよね。

相場が100円動くと1000円動くんです、大雑把に言うとですよ。

掛けた金額より、もっと動くわけです。

相場がちょっと動いただけで、「ストップ高です、ストップ高です!」っていう話になるんです。

でも、逆に「ストップ安です、ストップ安です!」っていう、「値幅制限いっぱいまで下がりました。」ってなったら、1日で「追証」なんです。

たった1日で。

どういうことかというと、「3000万円入れました。1日で1500万円追加してください。」っていう話ですよ。

トータルで4500万円払うっていうことですよね?

そうですね、トータルで。

3000万円入れて、1500万円下がったので、「追加で1500万円払ってください」。

もう1日ストップ安が続きました。

「はい、1500万円」。

3日目ストップ安が来ました。

「また1500万円」。

っていう世界なんですね、商品先物業界って。

せっかく社長に気に入ってもらって、かわいく200万円預けてくれたんですよ。

その社長が、たった数日にして、お金が減っていく姿を見るわけですよ。

「長く続けたい。」って思えないじゃないですか。

人が幸せになれないですよ。

そういう事を見ていたんですけど、営業しないと生活が成り立たないので、営業をしていました。

主任にも最短でしてもらって、気持ちの中で複雑な思いでしたよね。

みんなには「よかったね!」なんて言われながら。

でも、お客さんは苦しんでいる中で、「この先どうすんの?」って思った時に、家のことがあったわけですよ。

「このままこの仕事をやって、いいことないよな。」って思っていたんですよね。
そういう時に悪魔の囁きがあって、営業が来たんです。




商品先物取引会社を辞めた理由

会社にかかってきた営業の電話

どんな営業だったんですか?

ビジネス交流会だと思って行ったら、「こういうビジネスがあって。」って、ネットワークビジネスを紹介されたんです。

全然メジャーじゃない、聞いたこともないような。

でも、その時はネットワークビジネスにも免疫がなかったわけですよ。

当時の私からすると、「いかに稼げるか。」が重要だったわけです。

母親が来るのは時間の問題なわけですから。

母親が来るまでに引越しの準備しなきゃいけない。

家の準備しなきゃいけない。

そのあとの生活を成り立たせなきゃいけない。

焦ってたんですよね。

焦ってる時にそういう誘いが来て、「この仕事をやったら、これぐらい稼げて、実際に自分は何ヶ月でこうなっている。」と。

そいつがまた、見世物としていい車に乗ってたわけです、新車で。

どこでどう手に入れたか知りませんけどね。

その当時は、私もそういう事情が分からなかったわけです。

営業でそこそこ実績を出して、ちょっと天狗だったんでしょうね。

1年半で同期トップで主任になって、「営業だったらやれるだろう。」って。

「商品先物で営業をやってたんだから、だいたいのものは売れるだろう。」って、まったく気づかず。

それで、商品先物の会社を辞めました。

そこから歯車が狂いだしたわけです。

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