医療・福祉

全国高校サッカー選手権に出場した先輩の影響で受験した浦和南高校

全国高校サッカー選手権に出た先輩の影響で受験した浦和南高校とは

浦和南高校を受験して合格するのは難しいのでしょうか?

今回、鍼灸マッサージ師として独立した齋藤大輔氏に「全国高校サッカー選手権に出場した先輩の影響で受験した浦和南高校」というテーマでインタビューを行いました。

泣き虫で負けず嫌いだった幼少期、全国高校サッカー選手権に出場した先輩の影響で受験した浦和南高校、滑り止めで入った私立高校での生活、教員免許とサッカーで選んだ大学受験などについて、お話を伺っています。

南浦和高校を受験して失敗した経験が、齋藤大輔氏の糧になっている事。

また、鍼灸マッサージ師として独立して仕事をしている齋藤大輔氏のルーツを知る事で、これから起業や独立を考えている方の参考になれば嬉しいと思っています。




泣き虫で負けず嫌いだった幼少期

泣き虫で負けず嫌いだった幼少期とは

小さい時はどんな感じだったんですか?

生まれたのは埼玉県さいたま市の浦和なんです。

自分の記憶では、小さい時は「弱虫だし、泣き虫だし、でもなんか負けず嫌い」みたいな感じでしたね。

お父さんとお母さんは小学校の先生だったんですよ。

だから、よく怒られて泣いてましたね。けっこう学校での態度が悪かったんですよ。

ヤンキーではないですけど、やんちゃだったんですよ。

授業はね、やっぱり出ないですよね、そりゃ。(笑)

え?小学校の時は、だいたい授業は出ますよ。(笑)

授業に出ても、ふざけたりとか、先生に迷惑かけたりとかしてると、それが連絡帳に書かれて、親に見せるわけじゃないですか。

親は学校の先生なので、そんな連絡帳を見たら「ありえない!」っていう感じで、ボッコボコに怒られて、家を追い出されたりとかしましたね。

小学校の時は本当に「やんちゃだった。」っていう感じですね。

非行ではないですけど、なんでですかね?寂しかったんじゃないですかね、多分。

お父さんとお母さんは共働きで、学童とかも行っていたので、「かまってほしい。」とか思ってたんじゃないですかね。

でも、だいぶ更生しましたけど。「更生」って言わないほうがいいですね、自分で。(笑)

中1まではやんちゃを引きずっていて、中2ぐらいから落ち着き始めましたね。




先輩の影響で受験した浦和南高校

先輩の影響で受験した浦和南高校とは

中学は普通の公立に行ったんですか?

普通の公立中学校ですね。

勉強はあんまり好きじゃなかったし、ほとんどしていなくて、高校は「どこかに行ければいいかな。」みたいな感じでした。

塾は行ってたんですよ。でも「友達と会えるから。」みたいな感じで行っていましたね。

だから、勉強は全然してなくて、途中で塾を抜け出したりとかしてました。

高校受験は最初「自分の偏差値相応の高校を受験しよう。」みたいな感じだったんですけど、やっぱりその時サッカー熱が来ていたんですよ。

ちょうど自分が受験する代の年、冬の全国高校サッカー選手権に「浦和南高校」っていう高校が出たんですよ。

浦和南高校に自分の中学の先輩がいて、全国高校サッカー選手権に出場しているのを見て、感動してしまって。

「自分も浦和南高校に行こう。」と思って、そこから受験勉強を頑張ったんです。

「浦和南高校」って偏差値高いんですか?

そうですね。その時、浦和南高校は偏差値60ちょっとぐらいだったと思います。

僕はその時、偏差値60なかったんですよ、55とか。

でも、偏差値60ちょっとだから、「ちょっと頑張れば行けるかな。」と思って、受験勉強をし始めて挑んだんですけど、やっぱり浦和南高校は人気で倍率が高くて。

浦和南高校は落ちて、滑り止めの私立高校に行ったっていう経験があります。

浦和南高校は公立なんですか?

浦和南高校は公立の高校です。

浦和南高校を受験して落ちた時は、結構挫折でしたね。結構泣きました。

それぐらい本気だったんですよね。

浦和南高校にどうしても入りたかったけど、叶わずでした。

高校受験の挫折から、どうやって立ち直ったんですか?

確かに。どうやって立ち直ったんだろう?

でも、とりあえずひたすら泣きましたね。泣いて、友達と話したりとかしてですかね。

いつの間にか勝手に立ち直りましたね。あんまり覚えてないですけど。

泣いたのは憶えてます。めっちゃ泣いたのは。

滑り止めで入った私立高校での生活

滑り止めで入った私立高校での生活とは

高校の時はどんな感じだったんですか?

サッカー漬けでしたね。

サッカーを見てはやって、見てはやって。

たまには勉強をして。でも、勉強はしてたかな、あの時は。

中学に比べたらですけど。あんまり遊んだ記憶がないですね。

高校はどこにあるんですか?

高校は埼玉の伊奈群っていう群なんですけど。

すごい田舎の方。上尾の奥ですね。

新設校だったので、そこに惹かれて行ったっていう。

僕らが3期生だったので、トイレがすごい綺麗だったんですよ。

トイレもけっこう重要視して、トイレが綺麗だから決めたみたいな感じでした。(笑)

自分が行ってた高校のトイレなんて、ドラマに出てくるようなトイレでしたよ。

そういう学校多いですよね。僕、和式がダメだったんですよ。

OPPだったんですよ。お腹ピーピーで。(笑)

けっこう便を催すことが多くて、和式って辛いじゃないですか。

洋式って落ち着いてできるじゃないですか。

それで、僕が通った高校を見学しに行った時に、全部洋式だったんですよ。感動してしまって。

「トイレ棟」っていうのがあるんですよ、トイレだけの棟が。

そこのトイレが本当に綺麗で、そこを気に入ってしまって。

「自分が用を足すならここしかない。」と思って決めました。

それが志望動機ですね。(笑)あとは「学校が綺麗」っていうだけです。




教員免許とサッカーで選んだ大学受験

教員免許とサッカーで選んだ大学受験とは

大学はどうやって選んだんですか?

「スポーツに関わりたい。」っていうのと、「大学行ってもサッカーやりたいな。」と思っていたんですけど、やっぱり「関東リーグ」っていうプロに近いリーグに入っている大学は無理だなと思ったんですよ。

入部するのにも「セレクション」っていうのがあって、「セレクション」にはたぶん通らないだろうなと思って。

でも、「楽しくサッカー続けたいから、部活でできるところないかな?」って探していて。

「体育大学だとそれなりに強いし、体育大学を受験しようかな?」って思ってた時に、担任の先生に「君は体育会系ではないよね。」って言われて、「あ、そうなんだ。」と思って。(笑)

それで、僕が行った桜美林大学の「文学部健康心理学科」っていう学科は「体育の教員免許を取れる。」っていうことで受験しました。

桜美林大学の文学部健康心理学科は、体育の教員免許が取れるんですか?

はい、体育の教員免許が取れるんですよ。文学部なんですけどね。

ただ、文学部は僕の代で終わっちゃいました。

次の代からは「なんとか学部」って名前が変わっちゃったんですよ。

心と身体を謳ってたんですよ、そこの学部が。

そこに直感で「いいな。」と思って、AO推薦で受験して、受かって行ったって感じですね。

受験の時は、確か作文を書きました。

あんまり深く考えてなかったですね。「もっと自分の進路を真剣に考えろ。」って思いますよね。(笑)

バイトはしていましたか?

フィットネスクラブでバイトをしていました。

あと、最初は「吉野家」でやってましたね。

吉野家でのバイトは1年ぐらいしかやってないです。

大学1年だけ「吉野家」でやっていて、2年からはフィットネスクラブでアルバイトをし始めました。

「フィットネスクラブ」っていうのは、普通にジムとプールがあるところですね。

「利用者の補助をする」みたいな感じで、ジムのインストラクターとプールの指導とかをしてましたね。

泳ぎというかウォーキングとかでしたけど。

ほとんど部活かバイトをしていましたね。

若いから朝まで飲んで、そのままバイト行ったりとかしてました。

勉強はしてませんでしたね〜、相変わらず。

部活とバイトに明け暮れてました。

それで3年になり部活を引退する話が来て、鍼灸マッサージ師の専門学校を受けるためにシフトチェンジした感じです。

それで、専門学校を決めて。

鍼灸マッサージ師の専門学校が決まったのは、12月ぐらいでしたね。

大学4年になった時に、教員免許を取るための教育実習に行ってたんですよ。でも、教員にはならないつもりだったので。

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